一休さんというと、「いそがない いそがない」「ひとやすみ ひとやすみ」のTVアニメでおなじみの、とんちの一休さんのイメージがあまりにも強いのですが
室町時代に生まれた一休さんは6才で京都の安国寺に入門、幼い頃より漢詩の才能がすばらしく13才で漢詩の本を記すほどでした。よく知られる聡明な一休さんのお話はこの小僧さん時代の頃のお話。
やがて成人した一休さんは教えを求めて旅する毎日がつづきました。そして、その旅の途中で一休さんが出逢ったのが京都の郊外この田辺の地でたび重なる戦火であれはてた妙満寺だったのです。
一休さんはこの妙満寺の再建にとり組み、長い歳月をかけて堂宇をととのえ、再建をはたしました。
この地を気に入った一休さんは晩年まで過ごしました。この寺で過ごす毎日の中で、地元の人達にもとてもしたわれ、お寺はいつしか一休さんのお寺ということで一休寺と呼ばれるようになったのです。
そして82才で大徳寺の住職になったときもこの田辺のお寺から通われたほどこの寺が気に入ったのです。
一休寺に今も伝えられる一休寺納豆は一休さんが応仁の乱で、人々が飢えに困っているのを見て、きびしい修行の僧が肉食ができないために、たんぱく質補給のために欠かせない健康食として食されていた納豆の製造を人々に教えたことが始まりと伝えられています。
蒸した大豆にはったい粉と麹をまぜ発酵させ塩湯とともに納豆桶に移し、毎日天日干しを一年間つづけるという一休さんの教えの通りの納豆づくりが一休寺では今もつづけられているのです。
そして一休さんは89才で生涯をまっとうするまでこの地で過ごしたのです。
境内を埋めつくすもみじは、まだもう少しですが樹々の緑は心なしか黄色味をおびはじめています。