お灸を知る・使うせんねん灸 moxaブログ

2018.03.23

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三条大橋

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京都気象台は22日、平年より6日、昨年より9日早く、世界遺産二条城にある標準木の桜に5〜6輪以上の花がついたので今年のソメイヨシノの開花を発表しました。
京都の街中のあちこちの桜が開花しはじめ、京の春の行楽シーズンは開幕です。
桜の向うに見えるのは三条大橋です。
かつて江戸、日本橋から124里(492キロ)東海道五十三次の京のゴールはこの三条大橋でした。
古くから大切にされてきた三条大橋ですが、たびたびのかけ替えにもかかわらず今の橋の擬宝珠は天正18年(1590)豊臣秀吉の命によって改修された時の擬宝珠が使われており、橋脚はコンクリートに変わっても橋の欄干は今も木製のままです。

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大切な交通の要所として長い歴史を持つこの三条大橋が昨年駅伝の発祥の地として大きくニュースになりました。
日本で始めての駅伝はこの三条大橋がスタート地点だったのです。
1917年、東京奠都五十周年記念行事として、東海道駅伝徒歩競争がこの三条大橋から、東京上野で開かれていた奠都記念博覧会の会場に至るコースで関東組と関西組の対抗戦で行われました。
全長514キロを23区間に分け、昼夜を通して走りつづけ41時間44分で関東組が走破したのです。
昨年はその駅伝からちょうど100年だったのです。

この勝利した関東組のアンカーこそ、日本最初のマラソンランナーとして知られる金栗四三さんでした。
当時のマラソンはシューズではなく、タビをはいて走っていました。
しかしヨーロッパの石畳の硬い道路を走るためには普通のタビでは無理ということがわかって、タビ屋さんの職人と改良につぐ改良を重ね、ついにゴム底の採用で、マラソン用のタビを完成、長く金栗タビと呼ばれ、日本のマラソンに大いに貢献したのです。

長い歴史の中でさまざまな歴史の舞台となってきた三条大橋。
今ではEKIDENの言葉で世界にひろがっている日本の駅伝の発祥の地という輝かしい歴史が100年をこえて今、スポットをあびているのです。

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