五月十五日は京都三大祭のひとつ葵祭。
御所を出発した行列は下鴨神社を経て鴨川ぞいの加茂街道を北上し、上賀茂神社をめざす祭り。
平安時代祭りといえばこの葵祭をさすといわれたほどその歴史は古いのです。
上賀茂神社とは下鴨神社と並んで京都で最も古い神社のひとつ。
大きくそびえる朱塗の鳥居の向こうに見えるはるか向こうの山までが神域とされる境内には鴨川からひいた小川が流れ、さまざまな神事の舞台となっていますが、その流れが神社から流れ出しゆるやかに東へ向かって流れる明神川ぞいに並ぶ建物群が社家町と呼ばれているのです。
江戸時代に二千五百石といわれた上賀茂神社につかえた神官たちの数は多く、その神官たちが社の周囲に家を構えたところから、この神官たちの住居を社家と呼びました。
かつては大きな神社のそばにはこうした神官たちの社家があったのですが、今も整然としたカタチで残るのは全国でここだけ。今では国の重要伝統的建造物保存地区に指定されているのです。
社家橋と呼ばれるシンプルな石橋、しっくいを塗らない土坪、平屋建ての建物、すべてが明神川のゴミひとつない美しい流れにそうように実に簡素でありながら整然とした街並みがつづきます。
各社家は明神川の水を屋敷に引き込み、庭にめぐらせ、又、禊の水として使用し、再び明神川に返すのですが、生活用水として使った水は下水専用の井戸へと流し、明神川を守ってきた数百年の伝統が今もここでは守られているのです。
そして今や京のつけものを代表するひとつとして知られる、あのすぐき漬け。実はこの社家に代々伝えられてきた乳酸発酵の漬物なのです。
安土桃山時代には社家の屋敷内で栽培が始まったすぐきを各社家で漬け込んだすぐき漬けは江戸時代には幕府によって門外不出にされ、宮中への献上品となっていました。江戸末期、飢饉救済のため、すぐき漬けの製法は一般に公開され、賀茂名産となって今日に至っているのです。