慶長8年(1603)家康によって築城された二条城は幕末には十五代 家喜による大政奉還の舞台になるなど、幕府の京都の拠点としての役割を果たしてきました。
この二条城のすぐ近くにあり、二条城に諸国から伺候する大名の宿舎となったのが二条陣屋なのです。
1944年、町家としては日本で2番目の国宝に指定された二条陣屋は二条城のすぐ南にあり、江戸時代から米・両替・薬種商を手広く営んでいました。
当時の京都は幕府によって、諸大名が本陣をもうけることは禁じられていたこともあって、諸藩とのつながりも深かったためにいつしか大名の宿舎となったのです。
現在の二条陣屋は表通りから見える外観は「国宝」の立札がなければ少しの間口のひろいきわめて普通の数奇屋造りの町屋のようですが、大名を迎えることが始まったことで内部は防災、防火のためのさまざまな工夫がなされて、いわば陣屋建築ともいえるのです。
間口に比べ奥行き裏間口ともに深くひろい敷地に豪商でもあり茶人でもあった初代の手で建てられた建物は七つもの茶室や能舞台もある趣向をこらした意匠が随所に見られる一方で大切な人をさりげく、しかし考えられる限りの工夫を重ねて、守る知恵がいくつも見られます。
防火のためには京都でよく見られるむしこ窓の内側には火事の時閉じられる土戸をもうけ、大広間の天井にある採光のための窓のように見える開口部は天井裏の武者隠につながり、又、かくし階級やかくし部屋など数えきれない工夫がさりげなく用意されています。
そして大切な人を守る工夫はまだまだ続きます。浴室の浴槽は木ではなく日本最古のタイルの浴槽というのも、万一に備えての防御のためという徹底ぶりで、まるで忍者屋敷を思わせるが二条陣屋なのです。この二条陣屋は今でも住居として使われているために、見学には事前の申込みが必要です。
花粉情報が発表されるようになったのはまだほんの30年ほどというのに今では3人に1人とも、3000万人ともいわれる花粉症は国民病ともいわれるほど、その勢いは止まりません。