麩屋町、轆轤町、饅頭屋町、昆布屋町
千年の都 京都にはふしぎな町名がたくさん残っています。
麩屋町は食べる麩をつくるお店が多かったからとか、轆轤町はロクロを使う清水焼のあたりにある地名、鍛冶屋町、昆布屋町など、職業をあらわす町名がいろいろあげられます。
ちょっとユニークなのは骨屋町というのもあります。
お寺の多い京都だから生まれたのかというとそうでもなく骨屋の骨とは扇子の骨のこと。京扇子の骨は竹を細かく割り乾燥してつくりますが、骨屋町というのはその骨を専門に製作する職業の人たちが住むまち。
織物、染色、陶芸、金工などなど長い歴史の中で細かく分業化が進むことで高度に発展した京の文化は専門職をたくさん生み、その職人がひとかたまりになって住むことで、より発展してきたという歴史を物語るのがこうした京の町名でもあるのです。
そのような京の町名の中に仏具屋町、とか数珠屋町があるのは西本願寺の門前。
天正19年、秀吉によって、土地が用意され西本願寺にかかわるさまざまの職業の人たちも本願寺の周囲に移り住みました。お寺の日常にかかわる仏具、数珠、仏書、法衣などを扱うお店がお寺をとりまき、その外側には
全国から本山にお詣りに来る人たちのための旅館が立ち並び、西本願寺を支えていたのです。
仏教都市 京都には今も数多くの宗派の本山があり、宗派ごとに様式が違うために大量生産がかなわないため今でも全国の寺院の80%近くの仏具が京都で生み出されています。そのために仏具を専門とする金工、木工、彫刻、漆芸などの専門職のお店が数多く生まれました。
京の伝統工芸はこうした町名まで生まれるほど、高度に進化した分業制度によって支えられてきたのです。