まっ黒でゴツゴツ、納豆といわれても豆のカタチはありません。
大徳寺納豆は京都大徳寺に五百年をこえて伝えられる納豆というより、水分をとばして小さく固めた味噌といった顔です。
口に入れると塩味の中にほどなく深い味わいとともに禅味ともいうべきうまさが感じられるこのふしぎなたべものは室町時代 あの一休さんによって大徳寺に伝えられました。
禅僧一休宗純が請われて大徳寺の住職になったのは室町時代81才の時。
頓智で有名な一休さんですが、自分にきびしく、しかし天衣無縫な人として知られています。
その一休さんによって保存食としての製法が伝えられたのが大徳寺納豆なのです。
仏教は宗教としてだけでなくさまざまなものを日本に伝えてくれました。たべものでいえば今、京都の名物になっている豆腐も湯葉もそうですが、大徳寺納豆もそのひとつなのです。
大徳寺納豆は、本来大徳寺の塔頭で作務として作られてきたもの。
大豆と大麦と塩そして麹菌と真夏の強い日ざしが原料です。
大豆を時間をかけてやわらかくなるまで煮て、大麦をいって粉にしたハッタイ粉をまぶし自然発酵させ塩水に入れて、木のカイでまぜあわせたのち、真夏の強い日ざしのなかまぜてまぜてをくり返し中まで空気を入れて乾燥させていくと一日一日色は黒くなり小さく固まってきます。
それをほぐす作業をくり返し約2ヵ月たつと完成するのです。
木桶の中で強い日ざしに乾燥する納豆を連日ひたすらかきまぜる作業はまさに作務といわれてきた通り修行ともいえるきびしい工程から生まれるのが大徳寺納豆なのです。
大徳寺納豆は、そのままお茶うけとして、梅干し塩昆布のようにさまざまに用いされますが、他にも京菓子にとり入れられて独特の風味をもたらすなど今では京のくらしの中に深くとけ込んでいるのです。