まっすぐ西に沈む入日につつまれた鳳凰堂がその姿をうつし込んだ世界は、平安貴族が願ってやまなかったまさに西方極楽浄土を現出したもの、国宝 平等院は世界遺産にも登録されています。
平安時代、関白 藤原頼通によって建てられた平等院は、源氏物語の最後の部分の舞台として知られる宇治を代表する宇治川のほとりにあり、当時、貴族社会にひろがった未法思想を色濃く反映したものとしてもよく知られています。
ブッタによって開かれた教えはブッタの死後、時間がたつに従って、人々の心に届かなくなり、まもなく世界は未法の時代が来るとされ、この世に救いを見つけられないところから未世に救いを求める浄土信仰が貴族社会を中心にひろがっていました。
平等院はこうした時代背景をもとに極楽浄土を現出することを原点としてつくられたもので平安時代を代表する浄土庭園ともいわれています。
池の中の島に建てられた建物は極楽の池の中にうかぶ宮殿をイメージしたものでその中心となる中堂には西方浄土の阿弥陀如来が祀られており、池をはさんだ対岸からもその光の具合によってはあざやかにそのお姿がうかびあがります。
左右にひろがる翼廊、背後に伸びる尾廊を持つ独得の建物は鳳凰の姿をあらわしており大棟には一対の鳳凰も配置され鳳凰堂と呼ばれています。
その優美な建築全体が池に映る姿はまさに西方極楽浄土の世界、さらにこの鳳凰堂は通常の寺院が南を正面にしているのに対し、まっすぐ西方極楽浄土につづくことを願って真東を正面としているため、太陽がまっすぐ西に沈むお彼岸には鳳凰堂に向かう入日を体験したい人が閉館時間ぎりぎりにたくさん集まるのです。