樹々の緑が最も美しい季節となりました。
森の中の池の水面が鏡のようになって、若緑のグラデーションのあざやかな池のそばの林を映し込んでいます。
あらゆるものを正確にそしてシャープに映し込むこの水面をあらわすコトバに水鏡があります。
太陽の動きにあわせ、渡ってくる風にあわせて刻々と表情をかえる水鏡の中の樹々の表情は、実際の景色よりもよりきめ細かく繊細に映しとられている気がして、見あきることはありません。
しかし、その風景は一瞬にしてくづれました。
エサを求めてゆっくり泳いできた鴨のおこす波紋によって、映りこんでいた樹々も空もあっという間にくずれ去ったのです。一瞬にして姿を変え、カタチを変えるこの水にヒトは古くからさまざまな想いを託してきました。
その中で最もよく知られてきたのが老子。老子は前漢の歴史家、司馬遷によって記された「史記」の中に「老子伝」として伝えられていますが、実際はそれより以前に生存した人物であるとされています。
老子は2000年よりはるか以前に「最上の善とは水のようなもの、水はすべてのものに恵みを与えながら決して争うことなく、だれもが行きたがらないと思う低いところをめざす。これこそ人の生きる最善の道である」と語っています。
さらに「天下に水より柔らかでしなやかなものはない。しかし堅くて強いものを攻めるには水にまさるものはない、というのも水の性質はだれも変えることができないからである」とも語っています。
この部分がよく知られている「柔よく剛を制す」のコトワザのルーツなのです。
この老子の思想は四季があり水に恵まれた日本に伝えられるとさまざまな人によって解きあかされ、私たちの生きかたに大きな影響を与えてきました。
エサをついばんでいたつがいの鴨が去って、水鏡は再びいっぱいの緑を映し込んでいます。