お灸を知る・使うせんねん灸 moxaブログ

2018.07.20

ブログ

氷室

himuro
京都の地図を拡大してみると賀茂川の上流からさらに北へ伸びる「氷室道」というのがあります。くねくねと伸びる道はやがて山中に入り地図上では見えなくなります。
その先の標高400mをこえる山中にポカッとひらけた小さな盆地にあるのが氷室神社。
夏の日ざしが細くまっすぐ伸びる杉丸太用の杉木立にさし込む中にひっそりと立つ小さな神社です。

夏ながら秋風たちぬ氷室山
ここにぞ冬を残すと思えば
とかの藤原定家がのちにこの土地をうたった歌を残していることでもわかる通り氷室神社のある山里は標高が高く冬の寒さがきびしい土地であることを利用して平安時代、宮中で使用される氷を冬の間につくり洞穴などに保存して、夏の間中、宮中に届けていたのです。
平安時代、夏の氷というのはとえも貴重なもので、宮中には宮中の井戸と夏に使用する氷を管理する主水司というお役所があり都に近い山中のきびしい寒さの土地をえらんで冬の間に氷をつくり夏まで保存していたのです。
そのひとつがこの西賀茂氷室町の氷室なのです。
今では数軒の小さな集落ですが1000年も前からこの山中で氷を保存していた氷室の跡も残っています。

himuro2
冷蔵庫もなかった時代、保存してある氷を宮中まで運ぶ間にとけることも見込んで何百キロもの氷が夏の間宮中に運ばれていたのです。

源氏物語の「常夏」の巻に「氷水召して、水飯などを取り・・・」と氷が食べられているシーンが描かれている通り、貴重であった夏の氷は宮中では夏の暑さをしのぐために欠かせないものだったのです。

ページの最初に戻る