油小路通は碁盤の目のような京の街の中で、南北に一番長い通り、歴史的にも平安京が始まった頃にはすでに存在していたといわれています。
北は上賀茂橋のあたりから、南は伏見区の上鳥羽近くまでの約9.2キロ、ほぼまっすぐの道です。
天正年間、秀吉のよって進められた都市改革「天正の地割」にあたって秀吉はこの油小路通を都を東西に分ける中心として造営したという歴史もあります。
その油小路通、今では二本西に道幅のひろい堀川通があるために車の通行もそれほどではなく静かです。この通りもどんどん往時の街家がなくなっていますが、ところどころに歴史を感じさせる街家が点在しそこだけは風情のある街並みがつづいています。
長い油小路通の中で、通りの名前と関係あるかはさだかではありませんが、なんと唯一軒、今も油を扱うお店が京都駅近くにあります。
江戸時代、油小路のこのあたりは大阪や伏見から多くの人が行き交う幹線道路でした。このお店はこの地で創業当時から菜種油の製造をつづけてきたのです。
今では製造は終り小売のみですが、このあたりは西本願寺をはじめ多くの寺院があるところから今も燈明の油をおさめているそうです。
お店の一角には明治から昭和にかけての油店の歴史を物語る数多くの道具が保存され公開されています。
油のしみ込んで使いこなされた油を計る枡、運搬用の天秤棒や油の樽、などなど、そのすべてがかつての油小路通の繁栄ぶりを物語っているのです。
だれに言われることなく、我が家にとっては貴重なものと先代によって残されてきた道具の数々、こうした街の人の歴史を大切にする心が京の街の魅力にもなっているといえるのです。