京都 東山通を北へ仁王門をこえたあたりにその一角だけうっそうとした巨木に囲まれた小さな神社があります。その名は、満足稲荷神社。
地元では、「満足さん」と呼ばれ親しまれています。
小じんまりとした神社ながら、拝殿は重厚なつくりがとても目をひきます。
社伝によるとこの神社、豊臣秀吉が稲荷神社のたび重なる霊験に大いに満足したことによるとされています。
神社の名前は一般的には、その土地の名前とかか祭神などに由来するものですが、この満足稲荷はなんと秀吉個人が満足したことで満足稲荷神社と呼ばれるようになったという大そうユニークな神社なのです。
今では外国人の行ってみたい神社の日本で何年もベストワンにあげられ千本鳥居で知られ京都を代表する伏見稲荷神社もかつて100年にもわたってつづく応仁の乱で、京都のすべてが焼き尽くされ時、伏見稲荷もことどとく焼き払われました。
その戦乱の時代に終わりを告げたのが豊臣秀吉。
秀吉は早くから出世開運の神さまとしてお稲荷さんを信仰していました。
1589年天下統一した秀吉は、聚楽第に稲荷社を勧請。
さらに1592年伏見稲荷に桜門を寄進するなど伏見稲荷の再建に手をつくしたのでした。
その後も伏見稲荷への戦勝祈願が次々とかなえられ、伏見城に満足稲荷を建てるに至りました。
満足稲荷はのちに徳川綱吉の手で現在の岡崎の地に移されました。
満足稲荷は、今も願いがかなう「満足さん」として訪れる人がたえないユニークな神社なのです。