東海道五十三次の起点である三条大橋から東にまっすぐ伸びる三条通りは東山にかかるあたりからゆるやかな坂道となりやがて東海道につながります。
平安時代にひらかれた粟田神社は、この東海道ぞいに位置することもあり街道を往来すり旅人が訪れ旅の安全 厄除けの神社としてにぎわってきたのです。
この粟田神社のあるあたりは、京の七口のひとつ粟田口と呼ばれてきました。
京の七口というのは京への出入口をさす言葉。東海道につながる粟田口のほかに鞍馬に通
じる鞍馬口、丹波からの丹波口などの地名が今も京の街中に残っています。
粟田口は又、平安時代から室町にかけて名声をはせた粟田派と呼ばれる刀鍛冶の一派が生まれたところ。
粟田神社の攝社として知られる鍛治神社には、国宝の天下五剣のひとつとされる「三日月宗近」を生み出した三条小鍛冶宗近 名刀「一期一振」で知られる粟田口藤四郎吉光が鍛治祖神とともにまつられています。
近年、この粟田神社に若い女性の参詣者が急増しています。数年前にブラウザゲームとして登場し、アニメにもなって大ヒットした「刀剣乱舞」は、日本の名刀を疑人化した剣士とともに、歴史の改変をもくろむ悪とたたかうというストーリーが女性のハートをつかみ刀剣女子という言葉さえ生まれることになりました。
粟田神社は「刀剣乱舞」の聖地とされ今若い刀剣女子の姿がたえないのです。