醤油のルーツ 金山寺味噌が日本ではじめてつくられた紀伊湯浅。
平成28年「最初の一滴~醤油醸造発祥の地 紀伊湯浅」として和歌山県湯浅町は日本遺産として登録されました。
「だし」とともに日本の食文化に欠かせない醤油は、この湯浅町で鎌倉時代に生まれました。
日本には、縄文時代から中国から伝えられた醤(ひしお)を醤油のルーツとする説もありましたが、日本遺産に登録されたことで湯浅町は名実ともに日本の醤油の生まれた土地として認められたのです。
湯浅町で醤油が生まれたのは鎌倉時代、紀伊の禅寺、興国寺の開祖 法燈国師が中国の径山寺(きんざんじ)で修業中にこの径山寺に伝わる「なめ味噌」を口にしてその醸造法を学び、日本に帰国の後、湯浅の豊富な水が醸造に適していたところから、この地にその製法を伝えました。そしていつしか金山寺味噌と呼ばれるようになったのです。
金山寺味噌は、味噌の中に何種類もの野菜を刻んで入れ、食べる味噌としてつくられましたが、その製造の途中に木桶の底にたまった液体をたまたま調理用として使ったのが醤油のルーツをされているのです。
最初は自家用として用いられていた醤油はその旨味が安土桃山時代になると商品として出荷されるようになり豆と糀だけでつくる味噌とは違って麦を加えることでより旨味のある醤油となり、江戸時代には紀州藩の手厚い保護のもと湯浅は繁栄をきわめ、一時は92軒もの醤油屋さんが軒をつらねたとか。
今も旧市街の東西400m南北280mの地域は国の「重要伝統的建造物群保存地区」にも指定されています。石積みの堀ぞいに立ち並ぶ醤油蔵の独特のただすまいで日本の醤油醸造の町としてのかつての繁栄ぶりがしのばれる伝統的な街並みが残っています。
小春日和の通りには伝統の醤油づくりをつづける蔵がいくつもあり、今もその味が伝えられているのです。