「色づき始め」「見頃」「散りはじめ」・・・など紅葉だよりが、なんとなく気になる季節。
秋はあわただしく通りすぎる旅人のように日々刻々とその表情をかえていきます。
毎年やってくる紅葉の季節ですが、紅葉の仕方はその年の天候などによって微妙に変わり、二度と同じではないところが人の心をやきもきさせるのでしょうか。
今年の紅葉はとか、大原の紅葉はとか、嵐山の紅葉はと日々のあいさつにもしばしば登場する紅葉の話題。
しかしこれほど人の心をかりたてる紅葉ですが、昨今の観光客が一年中あふれる京都の紅葉事情は静けさとは縁遠く「立ち止まらないでください」「写真は撮らないで」というところもあちこち。
うらを見せ 表を見せて 散るもみじ 良寛
シシオドシの遠い音にうながされるかのように、ひらひらと舞い落ちるもみじといった光景は、パンダか展覧会のモナリザのような人気ぶりというより混雑ぶりにはただただおどろくばかりです。
四季折々の移り変りを生活にたくみに取り入れてきた日本人の美意識の頂点のひとつ、和菓子の世界では、喧噪の紅葉事情とは違って静かな秋がそこかしこに。
錦秋、唐錦、高雄の色、もみじ狩りなどの銘を持つ和菓子が勢ぞろい。
目で見て、舌で味わい、耳できくといわれる和菓子は銘も大切な味のひとつなのです。
1000年以上もの歴史を持つ和菓子は、室町から桃山にかけて千利休によってひらかれたわび茶の隆盛とともに大きく変化して今日のように洗練された独自の菓子文化がひらかれたのです。
静かなたたずまいの中、あたりを一色に染める紅葉、深まりゆく秋の一瞬の静寂の世界がこの和菓子の中にはたしかに今も存在しているのです。