このフラスコは1892(明治25)イギリスのジェームス・デュワーによって作られた、世界ではじめてのガラスのフラスコを重ねて、その間を真空にして、放熱遮断機能を持った実験用のフラスコを再現したものです。
この「デュワー瓶」はやがて画期的な製品を生み出すことになります。
1904(明治37)ドイツでこの「デュワー瓶」に保護用のケースをつけ持ち運びできる保温容器として製品化に成功。南極探検のシャックルトンや、世界初の人力飛行に成功したライト兄弟に愛されるなど、歴史に残る偉業にも一役買うことになったのです。そしてギリシア語で「熱」を意味するテルモスと名づけられ世界へひろがりました。
日本に輸入された時、その新聞広告には「保温保冷二十四時間保証」とあり、熱湯を入れるといつまでもさめない魔法のような瓶ということで「魔法瓶」と呼ばれるようになったとか。
大阪天満宮の門前には「大阪ガラス発祥の地」の碑があります。江戸時代、オランダから長崎へ伝えられたガラスの製造が大阪で始まり、やがて天満宮周辺には多くのガラス職人が集まり、大阪はガラス工業の中心地となっていたのです。
魔法瓶が日本に伝えられた時、まっ先に日本での製造に取組むことになったのも大阪でした。
というのも明治に入り、白熱電球の製造も手がけていたために、電球製造に欠かせない真空技術が魔法瓶製造に生かされたのです。
今も大阪には全国の魔法瓶メーカーの多くがあるのもこうした歴史によるのです。
2021.11.12
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