京 洛北 一乗寺は平安時代から山を越えて京と近江とを結ぶ、交通の要地として知られてきました。
比叡山をこえる雲母坂、白鳥越えなどの道の目印とされてきたのが、一乗寺下り松なのです。
平家物語にも「さがり松」の記述があるほどの歴史を持つ一乗寺の下り松は戦乱の時代にもいくつものドラマを生んできましたが、一乗寺下り松をここまで有名にしたのは剣豪 宮本武蔵。
江戸時代、足利将軍家の兵法師範をもつとめた京の剣術の名門吉岡道場との決闘に武蔵が望んだ舞台となったのがこの一乗寺下り松だったのです。
この時、生まれたのが武蔵の名言とされる「我、神仏を尊びて、神仏を頼らず」でした。
吉川英治名著「宮本武蔵」によると、武蔵は決闘に向かう道すがら神社を見つけ思はず勝利を祈ろうとした時、武蔵は武士たるもの味方は他力ではない、たのむ神など存在しないと、自分の気持ちのゆるみをいましめ、決闘に望んで見事勝利したのでした。
今の、一乗寺下り松はこの決闘の頃の松から数えて4代目。松が枯れる植えるたびに地元の人の手で下り松にふさわしい枝ぶりの松が移植されて今日に至っているのです。
ゆるやかなカーブの坂道の十字路に立つ下り松は、今ではそのまま坂を登ると「詩仙堂」、左に曲がると「曼殊院」「修学院離宮」、すぐそばの金福寺にはかつてここに滞在した芭蕉ゆかりの芭蕉庵など数々の名所の起点として、シーズンには人がたえないスポットなのです。