梅雨の晴れ間の日ざしのなか、ようやく根づいた稲が風にゆれています。
稲の呼びかたのひとつに「一粒万倍」があります。
その語源は仏教の報恩経の中にあり、一つの善行が多くのいいことにつながるという教えを、とても収穫量の多い稲に託して生まれたとされています。
この仏教の教えにもある通り、稲は成育の途中で分けつと呼ばれる働きで一本の稲の根元から何本もの茎が伸びて、それぞれに穂をつけるために、およそ一粒の種から約1000粒の稲が収穫できるのです。
コンビニで売られているオニギリ1個は約2500粒のごはんでできています。
即ち春 3粒の種をまくと、成長中に分けつがおこり、秋にはオニギリ1個分以上の米が収穫できるほど稲は豊かなみのりをもたらしてくれるのです。
神話でも、みずみずしい稲穂が豊かにみのる国という意味の「豊葦原瑞穂国」と呼ばれてきた日本で、稲は日本の気候風土に適していたこともあって栽培が進み稲作によって豊かな国となりました。そのため、いつの時代にも稲は神さまからいただいた大切なたべものとして、大切にされてきたのです。
そして春には豊作を願い、秋には収穫を神さまに感謝する祭が各地で行われるなかで日本の芸能のルーツ「田楽」が生まれ、「神楽」が生まれてきたのです。
こうして大切に育てられてきた米にはさまざまないい伝えがありますが、そのひとつ米粒1粒には7人の神さまが宿るというのがあります。7人の神さまというのは豊かな「土」、たっぷりの「水」、一日しか開花しない時に受粉するよう吹く「風」、稲の害虫を食べてくれる「昆虫」、強い太陽をさえぎる「雲」、時には照りつける「太陽」そして米つくりの人、をいうそうです。
田んぼに水が入り約175日かけて稔りの秋を迎える間、常に田んぼの状況、稲の育ち具合などに心をくばり自然の営みのなかで、やっと収穫の時を迎える米つくりには今もヒトの手の及ばない自然という大きなチカラがかかわっているのです。