お灸事典
お灸を愛した偉人

頭痛はげしく暇を乞ひて灸治に行んとす
明治5年(1872年)生まれ。日本で初めての女流作家(職業女性作家) 樋口一葉。
15歳にして和歌の塾「萩の舎」に入門。翌年には発会で最高点の和歌を発表するなど、幼い日から絵入りの読物『黄表紙』を読み『万葉集』や『古今和歌集』に親しんでいた一葉の文学的才能は、早くも芽生えはじめていたのです。
しかし、17歳にして父を失った一葉は母と妹の三人で仕立物の内職にはげむ毎日でした。

『黄表紙』

『たけくらべ』未定稿 所蔵:山梨県立文学館
明治時代に生きる女性を描いた一葉
一葉の暮らしのまわりには、つらい境遇の中でけなげに生きる女性や、苦労に苦労を重ねながら生きる女性たちの姿がありました。
「これが人生、人生がこれ、いやだ嫌だ」と言いながらもひたむきに生きる女性たちを、「文学でなぐさめ、はげます」ことこそ、自分の目指す道と、日々机に向かう一葉だったのです。
そして生まれたのが『にごりえ』『たけくらべ』。
『一葉日記』
一葉には10代の終わりから書き始めた40冊ともいわれる日記があります。
その中には、日々ひどくなる頭痛、肩こり、そのための灸治に通う一葉の姿が随所に登場します。
“灸治にも行かはやとて、ひるより家を出て下谷に行く”
“頭痛はげしく暇を乞ひて灸治に行んとす”
“9時頃より灸治に行。50人計(ばかり)待合して10時頃終る”
一葉にとって、もはやお灸は欠かせない生活の一部となっていたようです。
日々、頭痛 肩こりに悩まされる一葉を、お灸がなぐさめ、机に向う気力をふるいたたせる強い味方でもあったにちがいありません。

『一葉日記』

樋口一葉
女流作家 樋口一葉
そして20歳にして処女作『闇桜』が雑誌に掲載されました。
たちまち注目を集め、原稿依頼が続くなか『にごりえ』『たけくらべ』『うつせみ』『十三夜』など、後に「奇跡の14ヶ月」と呼ばれるスピードで次々と傑作を発表したのです。
『一葉日記』は、純粋な表現者としての視点で綴られた日記文学の最高峰と高く評価され、教科書にも採用されています。
明治29年(1896年)、小説22編、短歌4000首、そして『一葉日記』を残して一葉は生涯を閉じたのでした。
平成16年(2004年)、神功皇后についで二人目の女性として、お札の肖像にもなっています。
生涯、頭痛や肩こりに悩まされながらも、お灸に助けられて数々の傑作を残し、女流作家の道を切りひらいたのでした。
樋口一葉肖像:『現代日本文学全集』第9篇,改造社,昭和6. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2627917 (参照 2025-03-10)
武笠三 [校]『黄表紙十種』,有朋堂書店,昭2. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1223282 (参照 2025-03-10)
樋口一葉 (夏子) 著『一葉全集』前編 日記及書簡文範,博文館,明45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/871804 (参照 2025-03-10)
樋口一葉肖像:出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)