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つながるひと

せんねん灸でつながるひと

お灸は身体からだを温めてめぐりをよくするだけではなく、こころにほっと明かりをともすもの。セルフケアとしてのお灸が、少しずつ浸透してきているこの頃。せんねん灸を暮らしに取り入れ、自分のために、家族や誰かのために、ご愛用いただいている方のストーリーを通して、人と人のつながりやそこから広がる世界を見つめてみたいと思います。

榮島 佳子
第1回
「小児がんの子どもが、
笑顔で暮らせる社会へ」
榮島 佳子
一般社団法人 みんなのレモネードの会 代表理事 榮島 佳子えいしま けいこさん 一般社団法人みんなのレモネードの会代表理事
2016年、小児がん患児家族の立場から、小児がん患児・きょうだい児の支援団体を立ち上げる。
2020年4月法人格取得。小児がん啓発活動、患児やきょうだい児の交流会などを開催。
interview みんなのレモネードの会

マンションの一室を訪ねると、子どもの絵に「みんなのレモネードの会」と書き添えられたドアプレートが出迎えてくれます。 中に入ると、レモン柄のウォールステッカーや、子どもたちの作品が飾られていて、手づくりの温もりに溢れている空間が広がっています。ここは、一般社団法人「みんなのレモネードの会」の事務所。小児がん患児家族という立場にある榮島佳子さんが仲間たちと2016年に立ち上げ、代表理事として小児がんの啓発活動や、小児がん患児家族の交流などを行っています。

榮島さんは、ご主人と鍼灸院を営む鍼灸師でもあり、せんねん灸を長くご愛用くださっています。『せんねん灸でつながるひと』第1回では、榮島さんに「みんなのレモネードの会」のご活動、お灸でつながりがうまれるオンライン「おきゅう部」について、お話を伺いました。

息子さんの病気のはなし

3歳で発症。
患児家族仲間に
支えられた入院生活

榮島さんの長男・四郎くんが発病したのは、東日本大震災があった2011年のこと。3歳の時でした。

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息子さんの病気のはなし
3歳で発症。
患児家族仲間に支えられた入院生活

榮島さんの長男・四郎くんが発病したのは、東日本大震災があった2011年のこと。3歳の時でした。幼稚園から頭が痛いといって帰ってきたのがはじまりで、嘔吐おうと身体からだのだるさが続くなか、当初は胃腸炎と診断されたそう。その後も症状が回復せず、セカンドオピニオンをもらい、水頭症の手術をして一度は退院するも、翌年小児がんの脳腫瘍と診断され、4か月の入院生活を送りました。

「息子が入院して、右も左も分からずに、放射線治療にも不安を感じていた時、病院の先生方もですが、おなじ患児家族仲間のご両親に、本当にお世話になったのです。大丈夫だよ、治療は一瞬ですぐ戻ってくるからねとか、野菜ジュース用意しておくといいよとか、色々なアドバイスをくれて、すごく支えてもらいました。」

四郎くんは無事に手術と放射線治療を終えましたが、退院後もときどき病院に通う生活をしています。またさまざまな後遺症がのこり、成長ホルモンが出ないため、家で注射を打ったり、ものを覚えるのが苦手だったり、疲れやすいなどの症状もあります。現在は高校生になりますが、がんの治療を終えたばかりの頃は、体力もなく階段を登るのがやっと、毎日絵を描いたり、工作をしたり、散歩をしたり、お灸をして過ごしていたといいます。

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「みんなのレモネードの会」
発足と活動内容

「レモネードスタンド」
でつながった小児がん
仲間たちとの居場所づくり

榮島さんのなかで、ようやく気持ちに余裕ができたのが、退院して5年目を迎えた頃でした。

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「みんなのレモネードの会」
発足と活動内容
「レモネードスタンド」
でつながった小児がん
仲間たちとの居場所づくり

榮島さんのなかで、ようやく気持ちに余裕ができたのが、退院して5年目を迎えた頃でした。地域のお祭りに誘われて、小児がん支援のチャリティーとして、レモネードスタンド(*)を開いたところ、予想以上にたくさんの人たちが遠方からも足を運んでくれて、四郎くんは一気に注目の的に。
(*アメリカの小児がんを患う少女がはじめた取り組みで、レモネードをつくって販売して小児がん支援のための寄付を集めるという活動)

何より、小児がんの仲間たちが来てくれて、つながるきっかけになったそうです。榮島さん自身も感じていた、退院後になかなか患児家族とつながれないと感じている人たちが、他にもたくさんいることが分かり、小児がんを伝えながら、つながりをつくる場として、「みんなのレモネードの会(略:みんレモ)」と名づけて活動を始めるようになりました。

「みんレモは、患児家族であるわたしたち自身の相談場所にもなっています。子どもたちは体調の波があったり、学校でうまくいかなかったり、居場所がない子もいるのですが、なぜか小児がんの子どもたちはすぐに打ち解けるので、第3の居場所のようなものが自然とできあがっていきました。」

現在は、約150人が登録する「レモンの会」というチャットグループがあるほか、読書部、UNO部、犬部、夜のラジオ体操部、ティーンエージャーおしゃべり部といった、多彩な集まりがオンラインを中心に展開されています。体調の波がある小児がんの子どもたちにとって、オンラインでの交流がとても大切だといいます。

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プロジェクトのはなし

支援される人から、
支援する人へ

立ちあげの翌年から続けているクリスマス企画「みんレモサンタ」は、主治医の先生からの「見える支援をしてほしい」という言葉からはじまりました。

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プロジェクトのはなし
支援される人から、支援する人へ

立ちあげの翌年から続けているクリスマス企画「みんレモサンタ」は、主治医の先生からの「見える支援をしてほしい」という言葉からはじまりました。小児がんの治療を終えて退院した子どもたちやきょうだい児がサンタになって、入院している子どもたちにプレゼントを届けるというプロジェクト。

お世話になった病院とやりとりをして、プレゼントを準備して、届けに行くという一連の作業は、すべて子どもたちの担当です。さらに、プレゼントを受け取った子どもが退院して、翌年はプレゼントを届ける側にまわることも。支援の輪はすこしずつ広まり、7回目となった2023年には、全国25か所の病院にプレゼントを届けることができました。

「『みんレモサンタ』は、子どもたちが主役になって色々な経験をして、喜んでもらうことができる。学校では隅っこにいるかもしれない子たちが、中心になれる場所なのです。」

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活動への想いとこれから

患児にも、きょうだい
児にも想いがある

この8年間の活動のなかでは、2冊の絵本『ぼくはレモネードやさん』『ぼくはチョココロネやさん』も出版しました。

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活動への想いとこれから
患児にも、きょうだい児にも想いがある

この8年間の活動のなかでは、2冊の絵本『ぼくはレモネードやさん』『ぼくはチョココロネやさん』も出版しました。

『ぼくはレモネードやさん』
文・絵 えいしま しろう
生活の医療社 出版

小児がんを体験した四郎くんの目線で、病気のことや入院中のお話が描かれている『ぼくはレモネードやさん』は、四郎くん自身が描いた紙芝居がもとになった絵本。

『ぼくはレモネードやさん』
文・絵 えいしま しろう
生活の医療社 出版

さらに、病気のお兄ちゃんばかりが注目されることに腹を立てた、弟さんのために榮島さんがつくった2冊目が『ぼくはチョココロネやさん』。

『ぼくはチョココロネやさん』
文 えいしま けいこ
絵 かわしり きょうこ
生活の医療社 出版

きょうだい児をテーマに、弟さんの想いも大事に汲み取っている榮島さんのあたたかな眼差しが感じられます。

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活動の原動力

子どもの笑顔が
いちばんの原動力

「みんなのレモネードの会」の立ち上げにはじまり、「みんレモサンタ」の企画、オンラインの部活動、絵本の出版…。

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活動の原動力
子どもの笑顔が
いちばんの原動力

「みんなのレモネードの会」の立ち上げにはじまり、「みんレモサンタ」の企画、オンラインの部活動、絵本の出版…。ひとつずつ想いを形にされている榮島さんの行動力やバイタリティに感心してしまいますが、意外にも子どもの頃は引っ込み思案な性格だったのだとか。そんな自分を変えたくて、学生時代にアメリカでボランティアをして過ごした一年間の経験が今に生きているそうです。

「自分が困ることは、他の人も困ること。子どもたちが楽しそうに笑っていたり、誇らしげに司会をしていたり、みんなで仲良くしている様子を見ると、つながるっていいなと思います。子どもたちの笑顔がいちばんの原動力です。」

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伝えたいこと

小児がんに
寄り添う

そして、もし小児がんのお子さんやご家族と出会ったときは、ただただ普通に接してほしいといいます。

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伝えたいこと
小児がんに
寄り添う

そして、もし小児がんのお子さんやご家族と出会ったときは、ただただ普通に接してほしいといいます。

「小児がんは、特別ではない。誰かが困っていることもあるかもしれないし、こっちが困っていることもあるから、お互い困ったときは声をかけあって助け合おうね。分からないことはお互いに聞こうね。そんな世の中になっていってほしい。

ノーマライゼーションとか、みんな平等にって言うけれど、親自身が意外とそこにとらわれていて、あれができない、これができないといって、子どもたちを苦しめていることもある。その子なりの楽しいことを見つけてあげてほしいし、普通にしなくていいんだよって思います」

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オンライン「おきゅう部」について

お母さんたちのセルフケアに。
オンライン
「おきゅう部」がスタート

「みんなのレモネードの会」では、2023年4月から、月1回のオンライン「おきゅう部」の活動が始まりました。

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オンライン「おきゅう部」について
お母さんたちの
セルフケアに。
オンライン「おきゅう部」がスタート

「みんなのレモネードの会」では、2023年4月から、月1回のオンライン「おきゅう部」の活動が始まりました。榮島さんがツボを教えながら、みんなでお灸をするという会ですが、こちらにせんねん灸が協賛させていただいています。


自らが鍼灸師であることを、みんレモの仲間たちに黙っていたという榮島さん。患児家族の仲間たちもだんだんと歳をとり、身体からだがつらいという声が増えてくるなか、ある時にカミングアウトすると、「お灸をやりたい」「ツボを教えてほしい」というお母さんたちからのリクエストが続々と寄せられてきたそうです。

「みんな日々疲れているけれど、子どものために、なるべく長生きしたいという気持ちが強い。ご家族のために、何かセルフケアができないかなと考えていた時に、お灸を思いついたのです」

少人数のオンラインおきゅう部では、子どももお灸を体験して、まったり楽しい雰囲気。アロマの効果で香りにも癒されながら、自分の身体からだに目を向けるひとときを過ごしています。

また、オンラインおきゅう部のもうひとつの目的は、お灸をしながらおしゃべりを楽しむこと。お灸がコミュニケーションの手助けにもなって、日々のもやもやや世間話など、他愛もないことを話す時間が保護者にとってのリフレッシュになるといいます。

「ご家族同士で、お灸の据えあいっこをしてみたり、お灸を囲んでゆるゆるとおしゃべりをしていると、心もほぐされて、いろんな話ができるのです。お茶会や読書会のような感じで、お灸会をやっていきたい。そこから、またつながりが広がっていくのも楽しみです。」

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せんねん灸とわたし

お灸に助けられたことが
きっかけで

はじまりがいつ頃だったか、今となっては思い出せないほど、お灸は、榮島さんの暮らしの一部になっています。

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せんねん灸とわたし
お灸に助けられたことがきっかけで

はじまりがいつ頃だったか、今となっては思い出せないほど、お灸は、榮島さんの暮らしの一部になっています。

豊かな自然に囲まれた岡山県で生まれ育った榮島さん。大学で上京し、医療関係の広報をしていた20代の頃、過労で体調を崩したときに鍼灸治療に助けられたことがきっかけで、鍼灸師に転身。

あらゆる病気を東洋医学で治したいという一途な思いで取り組んできた榮島さんですが、長男・四郎くんの闘病体験や「みんなのレモネードの会」の活動を通して、治療に対する考え方が少しずつおおらかになったといいます。

「西洋医学も、東洋医学も、どちらもみんなの力になる。お客様にも色々なものを試して、そのなかで鍼灸も暮らしに取り入れてもらいたい。」

現在も、家にせんねん灸を常備して、毎晩ご家族とのお灸タイムを楽しんでいます。

「せんねん灸をしっかりやり始めたのは、息子が退院してからです。自分も元気でいなきゃいけないし、息子は鍼だと怖がるけど、せんねん灸は楽しくやってくれるので、続けてこられました。次男も大好きで、お灸の香りがすると近寄ってきます。」

お灸は手軽にできて、毎日やることで調子がよくなることを身をもって体験したという榮島さん。5分のお灸を据えるひとときが、日々の暮らしのささやかな彩りになることを、おきゅう部の活動でも伝えています。

「鍼灸師という仕事が、このような形でいかされて、つながりが広がっていくことがうれしいです。人生無駄なことはないなと思います。」

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    小児がんとは

    一般的に15歳未満の子どもがかかるがん。日本では毎年2000~2500人が診断される。白血病がもっとも多く、リンパ腫、脳腫瘍など、さまざまな種類がある。薬物療法や、放射線治療、手術を伴うケースもある。 今では70%の治癒率ともいわれるが、退院してからも、治療による後遺症がのこることが多く、疲れやすかったり、成長ホルモンがとまってしまうなど、子どもによってさまざまな症状がでる。治療法が確立されていないものもある。再発の可能性もあり、定期的な通院はつづく。

    みんなのレモネードの会

    「小児がんのことを知ってほしい」という想いで支えられるWebサイト。「みんなのレモネードの会」では、小児がんの子どもたちの成長にあわせた居場所づくりをはじめ、様々な支援活動に取り組んでいます。

    第1回
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